メンヘラナースの日々の記録。

精神疾患もちの看護師です。日々の記録、バセドウ病の彼くんとの関わりについて書いていきます

双極性障害 労災・慰謝料①

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私は某国立病院で働いている看護師です。

4月に正職員として就職し1週間ほど座学として基本を学んだのち、病棟勤務が開始されました。
まだ医療知識も仕事内容も患者対応もままならない中、 新病院として設立の年であった私が就職したその年は 先輩方も物品の位置や紙カルテから電子カルテへの移行も伴い 新人教育どころではなくバタバタとしていました。

私たち同期5人は、なんとか見て学ぶ。
私の場合ペアで組んでいる先輩にカルテの方法など聞かれました。
初めての就職、社会人として初めての経験。
教えてもらいたい立場であるけれど
必死になって考えてついて行きました。

先輩たちがいっぱいいっぱいな中、私たちは放置。
精神的フォローなんて名ばかりでした。
毎日の業務を見ることでいっぱいいっぱい、
万が一患者さんに何かあったらどういう対応をすればいいのか、
どんな患者さんは生命の危機が高いのか、
それすらわからない中、日勤すらままならない4月に
夜勤のシャドーが始まりました。
※シャドーとは先輩について回って仕事を覚える、という意味です。

突然の不規則な生活、
46人の患者さんを2人の看護で見る重圧、
ましてや経験も知識もない自分が
病気の患者さんを見る。

その不安は山のように膨らんでいました。
仕事に来ることが怖くて車に乗れば嘔吐し、
夜間になれば今日一日の仕事の反省と翌日のためのイメージトレーニングで
全く睡眠もできないまま出勤をしました。

PNSという制度が導入されて2人1組になり看護をするのに
ペアの先輩が体調不良で休みになった際、
1年目の私が一人なのにも関わらず、誰かとペアをその日だけ組み直すこともてもらえず、
「よくできる子だから、大丈夫」って勝手に言われて
一人でその日の受け持ち患者を看護しました

そのうち1名は死亡退院となり、死後処置も1年目で一人でしました。

「君はできる子だから大丈夫」そんなはずが1年目であるわけないのに
どんどん思い患者さんや、クレームの多い患者を受け持たされました。

3交代勤務だった当時、
日勤が17〜18時ごろに終わり家に帰り寝る準備をして
3、4時間横になり、(イメージトレーニングで全く眠れないなか)
23時ごろには出勤、情報収集のため始業時間より1時間前に出勤は当たり前、
そんな生活を送っていました。

準夜勤務の時は2時間前に出勤し配薬の準備、情報収集をしていました。
そして2時ごろ終わり、家に帰りまた朝6時には起きて日勤を行うのでした。

そんな日々を不安な気持ちの中続けていくうちに
どんどん体調は悪くなり、車に乗るだけで嘔吐。
職場に着くと頭痛・胃痛・めまい・悪心。
辛かった。苦しかった。

でもいつまでたっても人手が足りない。
休むことなんてできない。
夜勤なんて休もうものなら、
代わりに出てくれる人を探す。そんなの1年目にできることではありませんでした。

前残業は毎日当たり前、仕事終わりの残業も毎日3時間ほどしたとしても1時間も残業代をつけてくれない、
前申請性で、そんなのいつ終わるかもわからないのに・・・。
まだ若年層で夜勤を申請することもなかなかできませんでした。
そんなある日、カルテを開いていた時間と実際の申請の時間のズレを指摘する紙が配布された。

その時、師長は
「自己研鑽のため残っていた」と書いて。
といい、そのまま書くしかありませんでした。
きっと、何かあった時は、これを証拠とされるのだろうな・・・・。
そう思っても何もできなかった。

仕事にいくことをやめることもできない、
この現実から逃げるには死ぬしかない。
そう思っていました。

なんども悪心症状、不眠症状で内科の先生に見てもらうも
内科的異常なし。
精神科受診の日々が始まりました。

夜勤を休ませてほしい。もしくは外来など夜勤のない部署にさせてほしい。
その願いを師長へ述べた時
「夜勤をしない看護師なんて看護師じゃない。夜勤をしないなら看護師は諦めたほうがいい」
と言われました。

そのため嘔吐症状を抑える内服、頭痛を抑える内服、不安を抑える内服、
眠れるための内服。

どんどんと薬漬けになりながら看護をする日々。

休憩なんて取れるわけない。
一日中走り回って、トイレすらいく時間もなく看護をして
それでも終わらない仕事。
キャパオーバーになってなく日々。

そんな毎日。

ついに自律神経失調症になり、適応障害の診断が出て
しばらくの夜勤停止。

それも、上司は良かれとは思っていませんでした

夜勤をしていないのだから、残業できるよね?
と暗黙の了解で、
残業を押し付けられ一人病棟に残り、
他チームの残業をする、補完業務が毎日着けれらました。

夜勤をしない人は看護師じゃない。
そう言われその後は夜勤に戻りました。

そんなある日、夜勤時2名のみでやっているのに一人の急変。
先輩が受け持つ患者さんであったけれど第一発見者だった私が急変対応。

先輩は鳴り止まないナースコール対応。
挿管しなんとか一命をとりとめた患者。

その後、私は生きてることもわからなくなり、地の果てに落ち
うつ病と診断され
長い休職期間に入るのでした。

休職後、再び外来勤務を希望し
やっと外来勤務をさせてもらえることになりました。

外来でも全力投球。
上層部の人たちはうつ病になって休職した要注意人物として
定期的に面談をさせられました。
優しく話を聞くふりをしながらそれとなく、いつまでも外来にはいられないからね、という圧をかけられ、
面談した内容は文章に書き起こして保管され
監視をしています。

外来では、
割と使える子、としていくつかのブースを受け持たされたり、
一つのブースをやっと覚えたと思ったらまたすぐ新しいブース、と
全く精神面などの配慮もなく、第一戦力として働かされました。

それでも、看護部の方々は日々の勤務の様子など
一度たりとも見にはこず、
うつ病の要注意人物が働いていると
そういう目をずっと向けているのでした。

あまりにも情緒が不安定になりODをしてしまった際には、
外来師長から
「次そのようなことをしたら私からお母さんに連絡するからね」
と、家庭には精神病であることを隠していることを知った上で脅しと取れるようなことを言われました。

また、第一戦力として忙しいブースで働かせているにも関わらず
看護部長がかけた電話の対応が忖度ができてなかったため悪いと言いがかりをつけられ、
退職を遠回しに勧められました。
「私だったらそこまで頑張らないで、仕事をやめることも考えるかなあ・・・。」と。
私の普段の働きなど一度も見ていない人からのそのような圧。

冬は体調が悪くなりやすいからと事前に説明し、
自分の年休を希望すれば
「不公平。お子さんたちがいる人たちもいて、人が少ない時があるのだから休まれると困る。」と言われ
「申し訳ありませんでした。もう、私の希望のことは忘れてください。」としか言えませんでした。

急変した患者さんがいた際、第一線で対応することができた私。
それを見た救急部長医師が救急の勉強やDMATと勧めてくれました。
初めて自分の働きを見てくれて評価してもらえてとても嬉しかった私は
先生が進める研修を受けるために
外来師長へ研修を受けたいことを説明。
了承を待っていたが

精神疾患をもつ私が医療行為をすることはリスキーと
働きも見ない上層部の方々の判断で暗黙の了解で潰されました。

自分の働きも見ていない人たちに、
障害者だからという理由で潰される。

とても精神的ショックが大きかった。
こんなに評価してもらえないことがあるのだろうかと
今まで事故なく外来業務に貢献してきたことは何も見てもらえていない
病気を持ちながらも、病気であることには配慮もしてもらえず
一戦力として使っておきながら
医療行為はリスキーだからと潰される。

その矛盾にとても納得が行かなかった。

給料も誰よりも低い手取り17万。

障害者はリスキーでトラブルメーカーと。
そういう割には年休はとらせてもらえない、
そして第一線として働かされている。

この矛盾にも納得が行かない。

もう、死ぬ以外に逃げるところはない。
死んで労災として訴えてもらうしかもう救われる方法はない・・・。

そう思って思い悩んで

またうつ状態に戻る。

誰も結局理解してくれない
精神障害者がリスクならば
精神障害であることを考慮した仕事量にしてほしい。
そんなこともせず限界まで働かせておきながら、
委員会などいろんな負荷をかけておきながらこの扱いはどうして?。

誰か助けて。
もう生きていくのが苦しい。
誰ならわかってくれるの?